続 BABYMETALの衝撃 2 バラカン氏論争 論理空間について

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さて、先日言及したことを一部振り返ろう。

BABYMETALの衝撃は留まる所を知らない。
BABYMETALは世界的な大論争を引き起こしている。

論争の焦点はBABYMETALは真のMETALか否か?

BABYMATALはMETALではないとすれば真のMETALの定義と論理的に矛盾する。
METALファンはBABYMETALを受け入れるかMETALファンを棄てるかの選択を迫られる。

そこで、METALファンの心理としては非常に不安である。
実際に自分の目と耳でライブに行って確かめなければならなくなる。BABYMETALのライブは選択を迫られる儀式でもあるのだ。

そこでBABYMETALを見る。聴く。
オーマイゴッド!これはMATALだ。
BABYMETAL=METAL。等式の関係となる。

そしてMETALファンはBABYMETALファンとなるということである。
だから、ライブ映像を見る限りあんなに絶叫を上げて大興奮するわけである。
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しかし、100%はそうならないのが人間社会である。

納得がいかない人もいる。

代表的なのが音楽評論家のピーターバラカン氏
METALとはちょっと離れるが以下議論したい。
ちなみに私はバラカン氏に対して感情的には好きも嫌いもないと言っておく。
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バラカン氏の主張
(1)BABYMETALはまがいもの。
(2)このようなものが流行とは世も末だ。

とコメントしたという。
結構これが含蓄があり。深い意味がある。

論理的に検証してみよう。

まず、(1)のまがいものについて検証しよう
BABYMETALはまがい物。嘘、偽りということである。
真ならずということである。

バラカン氏の主張
 BABYMETAL=偽・・・・①
 BABYMETAL≠真は①と同義である。

とすると。では彼が認めるような世界的大物アーチストの
多くが、なぜBABYMETALを認めているのだろう。
という疑問が出てくる。
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大物アーチストの主張
 BABYMETAL=真・・・・②

バラカン氏の主張と大物アーチストの主張は異なる。
もしバラカン氏の論理が正しいとするならば、②は偽となる。大物アーチストの主張も「まがいもの」になる。

バラカン氏の主張(1)は論理的にまとめると。

BABYMETAL=偽であり。
BABYMETALを認める大物アーチストの主張=偽である。

しかし、ちょっと待ってくれ!
バラカン氏はいわゆる音楽評論家だ。
音楽評論家は大物小物を含めてアーチストのコンテンツを評論することで稼いでいる。のではないのか?
ということは大物アーチストの主張を全面的に否定することはできない。ハズ。

①≠②となることで、バラカン氏の論理は破綻する。

論理的に破綻したことを主張する音楽評論家を人はどうみれば良いのだろう。

バラカン氏の主張:音楽評論家≠論理的な人間(真)

もし、バラカン氏の主張(1)が正しいのならば彼は音楽評論家という職業を棄てなければならない。

よって、バラカン氏は論理的には判断できない人。
感情的な人となる。つまり、音楽評論家を辞めなくてはならなくなる。

もしバラカン氏の主張が正しいのならば以下の命題が成り立つ。

バラカン氏は大物小物アーチストを論評する立場の音楽評論家でありながら、論理的思考ができずかつ、大物アーチストの主張と異なる主張を持つのである。

ということになる。

では、私が続BABYMETALの衝撃1で言ったことを思い出して欲しい。

BABYMATALはMETALではないとすれば真のMETALの定義と論理的に矛盾する。
METALファンはBABYMETALを受け入れるかMETALファンを棄てるかの選択を迫られる。

私たちの論理空間はそうなっている。そうならざるを得ない。
では、バラカン氏は論理的思考ができない人と彼自身は認めざるを得ないのか?

否。そうではない。バラカン氏はこうも主張している(2)世も末だ!
世も末ということは我々の空間が終わっているということ。
私たちの住んでいる論理空間が間違っているという主張をしている。

ということは、我々の論理空間が間違っていれば、一応彼自身の主張も成り立つわけだ。
(バラカン氏のトリックだと私は思うが、(2)の論点をだしてきたところは素人ではないと言える。)

(2)の論点は実は哲学的には重要な課題なのだ。
素人ではここに気がつかない。
バラカン氏の面目躍如としたい。

ただし、現時点の哲学上は一部論争はあるものの概ね結論は出ているのだ。
我々の論理空間が間違っているという主張は不可能である。

論理空間の外では語ることはできない。沈黙せざるを得ない。
ただそこに示されているだけである。

論理空間が間違えていると主張するならばそこには論理など存在しない。
だから、音楽「評論」家など必要なく。感情的に好きか嫌いなだけである。

ということでBABYMETALを声高に批判すればする程、BABYMETALに取り込まれるかその場から立ち去らなくてはならなくなってしまうのだ。

バラカン氏の主張は非常に面白い。バラカン氏はきっと哲学的大発見を証明するか社会から評論家の称号を剥奪されるかのどちらかである。あなたはどちらだと思う。

今後もBABYMETALの大論争は続くだろう。
ますます楽しみである。

では

 See you !

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