香港の映画賞で、中国政府の影響力が一段と強まった10年後の香港社会をテーマにした話題作「十年」が最優秀作品賞に選ばれた。
「十年」は5人の監督が製作した5本の短編からなり、2025年の香港社会を暗いトーンで描いている。民主化を求める学生や若者が、香港中心部の道路を占拠した「雨傘運動」が発生してから1年4カ月あまりとなるが、香港市民の広い関心を呼び、異例のヒットとなった。
低予算で自主製作の同作品だが、香港のアカデミー賞といわれる香港電影金像奨では、商業作品をおさえ最優秀映画賞に輝いた。
香港の英国総領事館前での年老いた女性の焼身自殺や、軍服姿の香港の子どもたちが、文化大革命の紅衛兵の歌を歌いながら大人を取り締まるシーンなどが登場する。短編のひとつを監督したChow Kwun-wai氏は「十年は、中国に対する香港市民の恐れを描いている」と語る。
香港ではヒットとなったが、中国国営メディアは批判的で、共産党系の「環球時報」は1月、ばかげた悲観的な映画で「思考のウィルス」だと酷評した。政治的トーンの強さから、監督も含め、受賞はほとんどの人が予想していなかった。
今年の4月初頭は本当にいろいろなことがあった。
本ブログとしてはこのニュースも取り上げざるを得ない。
これは一言で言えば見てくださいというしかない。
香港映画のレベルは昔から高かった。
よって、このような作品があっても不思議ではない。
但し、共産党支配の恐怖感はあるもののどうしたら良いのかがないと思う。
普通選挙を要求
独立
広東語をしゃべりたい
結局はどれも戦うしかないのである。
待っていてもシナ共産党に飲み込まれるだけ。
広東語という言葉を失ったら最後、香港は立ち直ることもできないだろう。
言葉は全てだ。広東語のテーマがあるのは評価できる。
90年代には大陸の人間も広東語の歌を歌いたくて
大陸の若者が広東語を覚えようとしていたよね。
今はすぐに香港の歌手も普通話で歌うようになってしまった。
文化が文明が優れていればそう簡単にのっとられることは
できないのだ。
本土という言葉にも引っ掛かりがある。
広東語では本土は地元の意味。
大陸のことは内地という。
本土は抵抗の証であるが、本当の意味はメインランドを
指してしまうのでは無いかと思う。
且つ、地元とっても理念が無ければ飲み込まれてしまうだろう。
日本の地産地消が結果としては広まらないのもそのためだと思う。
中心に対しての周辺意識から抜けられない。
東京と地方。
北京と香港。
同じ位置づけになってしまう。
香港とは何かを香港人が考えなければならない。
今日は断片だけを拾ってみた。
では。
See you !
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