写真 照像 6 白黒こそ写真である

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スーパームーンは何色だった?
本当の月はいつだって色は変わらない。

小さい子が私の白黒写真を見て言う。

「なんだぁ。白黒かぁ。つまんないの」
「なぜ白黒はダメなんだね?お嬢ちゃん」
「だって、綺麗じゃないし、見てて疲れる」

でも、写真は白黒だ。

私はかつて白黒フィルムで撮影していた。
と言うより写真を撮ろうと思った時はいつも白黒フィルムをカメラに入れた。

銀塩時代は経済的な理由で安価な白黒フィルムを使うことがきっかけだった。
しかし、時代はデジタルカメラである。

デジタルならば白黒もカラーも基本的には価格は同じだ。
白黒にしたければカラーで撮影して白黒にすれば良い。

でも私はやはり写真は白黒であると思う。

写真芸術家の多くも写真は白黒であると言う。

カッコ良いからではない。
私も写真は白黒だと直感的に思いつつも、
なぜ白黒が良いのか、

長い時間わからなかった。
と言うより言葉にできなかった。

最近わかってきた。やはり写真は白黒だ。

白黒でないと人は写真を見てくれないからだ。

なぜだろう。

写真を視る人がいる。
その視る人は写真を視るとその人の脳裏に写真の像が映し出される。

カラーであればそのままなのだ。それでおしまい。

これに対して白黒はどうなるのか。
白黒であればそれぞれの人の脳裏に写真の像が映し出される。
しかし、現実世界はカラーであるが映し出された像は白黒である。

この人の服は何色だろう。この花は何色だろう。この建物は何色だろう。

だから視る人は自分の脳で色をつけなくてはいけない。
無意識に脳が彩色をする。
脳がすごい力で試行錯誤しながら彩色を行なっている。

だから脳は白黒写真を見る時はカラー写真を見るより疲れる。
子供は正直だから疲れると本当のことを言う。

いずれにしろ、白黒写真は各人が異なる受け止め方を提示する。
色のつけ方は自由だ。

色をつけるため、視るものは想像を働かせる。
相貌が立ち現れてくるまで。

その相貌が立ち現れてくるまで視る人は凝視することになる。
それまで視る者は写真から離れられない。

だから、極端な言い方だか、カラー写真は
芸術写真にはなりにくいのだと思う。

カラー写真を見た人はほとんど考えない。
脳が渾身の力を振り絞り考えてくれないのだ。

全くの現実でない白黒写真でないと相貌が立ち現れることは難しい。

視る人の脳裏に相貌が立ち現れてくれないと。
それは視る人にとっての現実にはならない。

ただ、眺めているだけだ。
カラー写真は眺めているだけだ。

やはり、白黒こそ写真である。

(写真は哈爾濱でのスナップ)



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