借りてきた時間 哈爾濱編 2 近現代史最大の移民現象とは?

トランプ勝利の衝撃の11月初私は哈爾濱(ハルビン)にいた。
しかし、哈爾濱滞在中からもやもや感が消えなかった。
結局そのまま哈爾濱を後にしたのだが。

もやもやを解消しようとして今、本記事を書いている。
トランプ勝利の衝撃以前から、今や欧州、米国、日本も移民についての話題で持ちきりだ。
不法移民云々、入れるの入れないのなどなど。

にもかかわらず、史上最大の移民事案について現場で調べている人はいるのかしら。

さて、本題に戻ろう。
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哈爾濱は1000万人都市である。本当の都市部で言うと500万人から600万人程度だろう。
非常に人口が多い。にもかかわらず、非常に寒冷地帯である。

ロシアの首都モスクワも1500万都市である。緯度はモスクワの方が高い。
しかし、気温の方はレベルが違う。

モスクワは1月の平均最低気温は哈爾濱と比べて摂氏10度程度も暖かい。
ちなみに哈爾濱の1月の平均最低気温は零下19度だそうだ。

私が哈爾濱に行った時は明け方は零下10度であった。昼は零下3度程度まで上がった。
ここでは、なぜ、このような酷寒の地に1000万人もシナ人がひしめき合っているのか。

謎である。
何人かの若い哈爾濱人に聞いた。詳しくはわからないと言う。

突っ込んで先祖は?と哈爾濱人に聴くと。先祖は山東省が多い。
中原(河南省がメイン)から華北一帯からきていると思えば良いであろう。


なぜ、シナ人はわざわざ世界でもまれに見るこの酷寒の地を
目指したのか?

懸命な読者はわかるだろう。

ロシアはどうしたのか?

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建物は欧州建築が多く街にはロシア商店が多い。
日露戦争まではにはロシアは勝手に哈爾濱どころか旅順にまで要塞を作ってしまう。

この地にロシア人は来なかった。というより棲みつかなかった。
なぜなのか。たぶん哈爾濱はロシア人にとっても寒すぎたのだ。

ロシア人が棲みつかない。シナ人が多い。日本人が住んでていた形跡すらない。
という謎を自分なりに調べてみた。

哈爾濱が省都である黒竜江省。90%以上がシナ人の移民だ。
殆どが20世紀初頭からこの地に来たという。

シナの資料にはこの近現代史最大の移民現象を「闖(ちん)関東」と読んでいる。
(「関東」はシナ語では万里の長城の山海関より東の満州を意味するだから満州軍は関東軍です)

広義では当初清朝末期ロシアの南下侵入を食い止めるため
漢民族の移民を満州族が認めたことに始まる。
当然、酷寒の地でもあり、土着の満州人との軋轢が絶えず。
小規模に終わる。

しかし、狭義の闖(ちん)関東は1905年から急激に拡大。
毎年20~30万人規模の移民が継続され、現在の規模になったという。

そもそも人類が住めない土地への人類史上、類を見ない大移動である。
黒龍江省は現在4000万人規模になっている。このすさまじい大移動である。

それなのに人々の表情は明るい。
態度も言動も南満州の長春(新京)や瀋陽(奉天)と比べて際立って明るい。

人間が住めない土地に来て気持ちが良い?。
ありえない。
私がバカにされているのか?この人々がおバカなのか?
(言い方厳しくてすみません・・・)
哈爾濱について知れば知るほど多くの疑問が出てくる。

いろいろ調べたがこの近現代史の大移民事件の理由を誰も書いていない。
哈爾濱人からも的確に教えてくれないので以下仮説を立てた。

1905年からの民族の興亡がキーワードであろう。
日本人なら日露戦争は知っているよね。

日露戦争の結果どうなったのだろうか。
日本海海戦は有名だけどここは満州の話ね。
奉天(現:瀋陽)の会戦の日本軍勝利後、大日本帝国はこれ以上北へ進めなかった。

既に本土は空っぽにしてまで、大日本帝国は全陸軍を満州に投入(これもすごいが)した上に戦費も武器も既に枯渇した。それも大きな理由だろうが。もっとあるはず。

それだけではない。
日本人には耐えられない寒さだ。
そもそも、寒さに強い東北出身者を主力そろえたにもかかわらず奉天が北の限界である。進めない。

ナポレオンやヒトラーはあの温暖?!なモスクワへの道でも冬将軍に負けた。

だから、大日本帝国は戦争を終わらせざるを得なかった。ロシアは北へ逃げた。
北へ逃げたが結局は暖かいウラジオストックやモスクワへ行ったのであろう。
大日本帝国陸軍は寒さに震え追撃できず、それを見ているしかなかった。

ご存知の通りポーツマス講和条約締結後、ロシアは南満州の権益を手放す。
東清鉄道は長春以南は日本の権益として南満州鉄道とした。
(ロシアが北満州の鉄道権益を手放すのは1935年)

そして、ロシア帝国崩壊。
日本はウラジオストックからアムール側沿いのシベリア出兵と続く。

日本は何をしたかったのだろう。ロシアはしぶといな。
伊藤博文のロシア暗殺陰謀説が消えないのはこのためか。

ロシアは追っ払ったもののそれどころではない。日本は朝鮮のこともあり、
南満州の権益は固めつつあるが、北満州のことは手が回らない。

ということで北満州にはロシア及びソ連の権益が一部残るものの一時的に真空地帯が生まれたのだった。

日露戦争と同時期にシナでは中原及び山東省で大飢饉が1904年頃から発生。
清朝末期の1900年義和団の乱、日露戦争を経て、若いインテリは日本へ大量留学、1911年辛亥革命後の軍閥の割拠、内戦、無政府状態。

暴力と恐怖が支配する街や村。
国内悲惨との一言では表現しきれない。

シナはボロボロの状態だ。
多くのシナ人が田畑や職を失い流民や乞食となり大陸を彷徨い歩いたのだろう。

しかし、シナの中原はご存知の通りどこへ行っても人だらけだ。
お前さんに分けてやる土地なんかない。

多くのシナ人が故郷を捨て万里の長城を越え、流れ流れて人間が住むことのできない哈爾濱を中心とする北満州までやって来た。

来て見たら、酷寒の地であったが、ロシアも日本も清朝も中華民国もない。
自由で広大な新天地だった。僅かだが土着の満州人はいたのだけれどね。

それは同時に欧州にてロシアから圧迫を受けている民であるウクライナ人、ポーランド人、
白系ロシア人、ロシア系ユダヤ人が集まって自由な雰囲気を謳歌した。

現代で言えば、アンチグローバリズム人々が既存の国家の枠を超えて
新しい大地を見つけた。と言うことになるかな。
その伝統が彼ら哈爾濱人の明るい性格の気質の源であると私は考えている。

ちなみに南の長春(満州国首都新京特別市)の人口は700万人程度である。
一方、長春は昭和の東京の表情が見ることができる。暗い。それはまた後にしよう。

まだ哈爾濱編は続くよ。

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