本当は昔からわかっていたことなんだけど。
ようやく米国人の多くが本当にわかってきたという結果が示されたということ。
今回の米国大統領選挙はいわゆる高級メディアが如何に世論を誘導しようとし、且つそのクリントン氏圧勝の予想がどれ程事実とかけ離れているかが明確にわかる選挙戦であった。
多くのことが示されたし明らかにされた。具体例を挙げると。
「お前は人種差別主義者だ」と声高に相手を攻撃している本人が一番利益を得ている。
こいつが本当の人種差別主義者なのでは。という意思表示が選挙民によって示された。
いわゆる自称エリートの富裕層はメディアを通じてマイノリティーを誘導し、黒人・女性というマイノリティーを演じる広告塔をたてた。
そして、エリートとマイノリティーは中間層に対して人種差別者のレッテルを貼り中間層から搾取をしている構造が明らかにされた。
米国だけではなく、それを報道する海外のメディアも含めて多くの既存メディアは本質を問われのだ。
そしてものの見事にことごとく事実に基づかない嘘であることが明らかにされた。
かつては世論を誘導する側は事実と異なる報道をし続けるのは相当高いコストがかかったはずである。
世論誘導がある程度効果を出しているうちはそれなりの利益供与がありペイできていたのだと思う。
クリントン氏側の資金はトランプ氏側の10倍の選挙資金であったという一部の報道も見かけた。
しかし、今は情報機器の発達によって個人でも低コストで情報発信できる。
私もそうだが、簡単に情報発信できるのだ。
事実と異なる報道をする側のコストが増す一方で
以前言及したが、低コストで発信する側にも次第に考える力がつく。
自分なりに考えて文章を書く、表現をするということは自分自身の訓練にもなるわけである。
根拠無し且つ客観的でない一方的な意見では批判に晒される。
誇張された主観的感情的な意見では誰からも相手にされない。
また、誰かの考えを鵜呑みした見解ではそもそも個人的に発信する意味がない。
発信者が力をつけていく中で、既存メディアは本質を突く地道な取材、非常に抜きん出た洞察力がなければ生き残っていけないだろう。
もちろん個人的に発信する側も同様だ、事実は何であるか。それは論理的に正しいのか。
同様に個人も批判に晒される。
既存メディアの言いなりになっていれば良いという良い時代は終わったのだ。
奴隷が一番困ることは奴隷小屋から出ても良いと言われること。
魯迅(シナの作家)の散文に以下の内容がある。
本当の奴隷はこうである。
奴隷小屋にいる奴隷は奴隷解放によって奴隷小屋から出ても良いと言われた。
奴隷は困ると言った。出ていけと言われてもこれからどうして良いかわからない。
自分でどうやって勉強して仕事を見つけて良いかわからない。
ご主人様の言いなりになっている方が楽だ。このまま奴隷小屋にいたい。
そう、皮肉にも奴隷自身が一番奴隷解放に反対したのである。
メディアの奴隷。
これからも続けて行くのか?
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