寝ぐらを失った鳥は別の場所へ飛んでいく。
飛べなくなった鳥はどうするのだろう。
元々飛べない鳥は鳥ではないのでは。
1997年の7月1日から20年経った。2017年の7月1日をどう迎えようか?
私は1997年の頃には内地にいてあまり香港のことについて多くは考えなかった。香港返還が予定通り行われたというニュースがあり。予定通りに返還されたということだけだった。
1997年の返還が決まった頃つまり返還のその前に多くの香港人と話をした記憶が鮮明だ。
ある者は楽観していた。ある者は悲観していた。とは言え、多くの者が第三国のパスポートを取得することには躍起になっていた。手っ取り早いところではカナダ、オーストラリアあたりだったと思う。
つまり、当時私と話をしていた多くの香港人にとっては想定内の20年であったと思う。
やはり大陸に飲み込まれてしまうだろう。そして多くの謳歌していた自由が制限されていくだろう。との不安が的中したということだ。
しかし、この頃に生まれた香港人は違うだろう。今は立派な若者のハズ。
どうして、この様な立場なのだろう。別の文化を持ち、別の言葉を話す人間がだんだん増えてくる。自分たちの居場所がだんだんなくなる。
香港独立という話も持ち上がってきた。
香港独立という話は返還前は私も想像はしていなかった。
ちなみに広東独立は孫文以来しょっちゅうあったけどね。
いずれにしろ、別の場所はどうも居心地が良いとは思えない。
ならば独立というのも悪い話ではないと考えるのもわからなくもないが。
それには広東省というところについても熟知していないと難しいだろう。
とは言え、状況が厳しいことには変わらないだろう。
別の場所に居場所を見つけられれば良いが、見つけられなければどうなるだろう。
香港へ入ってくる流れと香港から出ていく流れから新たな香港の役割が見えないものだろうか。
では
See you!
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